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2012/2年目の小作人日記

種をつなぐ。人をつなぐ、命をつなぐ。/2年目の小作人日記4

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昨年育てた枝豆の、種をとって今年蒔いてみたところ、発芽しました。
種をとる、ということ自体初めての経験で、いえ、ひまわりの種くらいは小学生の頃とったことがあったかもしれません、でもそれくらいしか経験がなく、例えば日常なじみのある大根やきゅうりが、どのように種を残すのか、なんて28になるまで興味関心がなく過ごしてきたのです。

考えてみれば至極おかしなことで、毎日口にする穀物や野菜がどのような種をして、どのように育って、どのように枯れて、どのように次の年に成るのかその一連を知らずにいたとは、なんと恐ろしい時代なんでしょう、と思うのであります。

例えばスイッチを押せば電気がつく、とか、テレビをつければ映像が流れる、とか、普通でないことが普通になって、自分が食べるものを自分で育てる、というような当たり前のことが特別なことになってしまっている今の時代はやはりどこかおかしいと感じます。だから原発のような問題も出てくるのでしょうと、そう思うのであります。

枝豆が成る。食べる。一部は食べないで、残しておく。乾燥させて茶色くなった豆を、よさそうなものを選ぶ。涼しいところに保管する。翌年、畑に蒔く。

このサイクルが途切れてしまえば、私たちは食べ物を食べられなくなります。

今、野菜を食べることができるのは、その野菜の種をとり、繋いできてくれた人がいるから。
または野菜が自分で自分の種子存続のために、自然の中で循環させてきた命のリレーでしょう。

農業というのはもしかしたら仕事にするべきではなくて自分で自分のことは行うものなのかもしれないと、あまりにも動物として無責任な人間ですこと、と、そんなことが頭を過ぎるのでありました。

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