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#023 北米横断から戻り、小さく見えた東京を離れ庄内へUターン。 阿部翼さん 2012.10.30

 ←#019 地域で何かを具体的に動かしていく。それが今、自分にとって一番やらなくちゃいけない「表現」。 成瀬正憲さん 2012.09.25 →#027 クモの糸の実用化を目指す鶴岡市のベンチャー企業 スパイバー株式会社・村田真也さん 2012.12.11


北米を自分の足で横断した鶴岡出身のフォトグラファー
 現在はフリーのフォトグラファーとして、庄内地方を中心にフリーペーパーの表紙写真や企業の商品案内、出羽商工会刊行冊子の写真など幅広く撮影を行っている阿部翼さん。

 阿部翼さんは、1982年鶴岡市生まれ。美術の教師免許を持つ父親の影響で幼い頃から写真に親しみ、東京の写真専門学校を卒業後、フォトグラファーの世界へ。スタジオで機材の使い方や撮影についての基礎を習得した後、2年ほどロケカメラマンのアシスタントとしてフリーで活動しました。

 2011年6月にそれまでの仕事を全て辞め、自転車でのアメリカ横断に挑戦。68日間におよぶ旅を無事終えて日本に戻り、東京で再び撮影の仕事をする予定だったところを思い直して、2011年11月に鶴岡に帰郷しました。

 決して言葉数の多い方ではなく、一言一言を簡潔に、ゆっくりとお話される阿部さん。でも、本質を捉えようとする考え方と純粋な想いを内に秘めた方であることを、阿部さんのブログを拝見していると感じます。以下は2012年6月に鶴岡アートフォーラムで開催した展示会「Beautiful World」を終えた際のブログから引用したもの。アメリカ単独自転車横断の写真と日記の記録を展示会には、5日間で約650人もの来場があったそうです。

 

『裸の自分を自らさらけ出して、ただの赤っ恥を掻くだけなんじゃないか。

自己満足で終わって、見た人の記憶にも残らない、

ただの「写真展」になるんじゃないか?

色んな事が頭をよぎりましたが、

「アメリカでみんなからもらった大切な物を、今度は僕が誰かに与える事が出来るかもしれない。」

この約束だけはしっかり守らなければいけない。

たった一人でも自分と同じ悩みを持っていた人がいたとして、

そのたった一人の人から何か言葉をもらえれば、

大成功ということにしよう。

それがこの写真展のスタートでした。』

(阿部翼さんブログより抜粋 http://abebeabebe.exblog.jp/15730384)

 そうした阿部さんの想いの込められた展示会で、胸を熱くした人は少なくないでしょう。もちろん私もその中の一人です。





車でも、電車でも、バスでもなく、自転車でのアメリカ横断。
 アメリカ西部の都市、ロサンゼルスからアメリカ入りし、東海岸のニューヨークを終着点とした約6,459kmの型破りな旅。どうしてアメリカ、そして自転車だったのでしょうか。

「オーストラリアでもなく、ヨーロッパでもなく、アメリカだと直感で思いました。自転車を選んだのは、目的が、写真を撮ることだったからです。自転車だと、撮りたいと思ったときにすぐに止まって撮れる。あとは、自分の足で成し遂げたいと思う気持ちがありました。人でも、風景でも、自分がいいなぁと思う写真を、好きな写真だけを、撮ろうということだけ決めていました。」

 渡米して最初に立ちはだかったのは言葉の壁でした。

「何を言っているかわからないと自分もかえせなかったので、とにかく一生懸命聞くようにしました。たぶんこういったことを言っているんだろうなぁと思えれば、自分からも話せるというか。そうしているうちに、自然と遠くで話している声も注意して聞くようになりました。そうすると、他人に興味がわいてきました。最初のほうは、地域や人種によってなまりがひどい場合もあるし、あまり話しかけられたくなかったですね。でも今思えばもう少し英語を勉強しておいて、価値観や感情が分かち合えればもっと面白かっただろうなぁと思います。」

 そこにお互いの感情は確かに存在するのに、言葉という道具がうまく使えないためにそれを伝えられないことのもどかしさというのは、きっと多くの人が体験したことのあることではないでしょうか。

「でも、わからないときはわかったふりをしていました(笑)。結局気持ちが通じてさえいれば、言葉なんか必要ないようにも思いました。」





朝起きて、あぁ今日も生きていると思える。人や自然に生かされている。
 渡米する1年くらい前からそれまでにしていた仕事や自分の写真に対して疑問を持ち始め、この旅を決意した阿部さん。

「小学校の頃は好きで写真を撮っていたのに、仕事となると好きじゃない写真も当然撮らなくちゃなりませんでした。自分が良しと思わない写真を使ったり、自分じゃなくてもいいような仕事をしなくちゃいけないこともありました。そうした中で、自分の先が見えてしまったというか、一度今までの写真や仕事を全て捨ててでもリセットをかけないとだめだと思い、考えた末にアメリカ横断を決意しました。これまで経験をしたことのないことに挑戦して、自分の小さかった殻を破りたいと考えました。」

 容赦のない日差し、広大で乾いた大地がどこまでも広がるアメリカを見たことのある人ならば、あの土地に生身の人間が挑むことの危うさは十分に想像ができると思います。それでも挑んだアメリカ横断は想像していたとおり過酷なもので、アメリカの大自然の中で何度も命の危機にさらされました。

 また自転車での移動時間は長く、体力は熾烈を極める反面、頭の中では常に自分のこと考えていたそうです。

「車も通らず、風も吹かないようなところを自転車で走っていると、自分の呼吸の音しか聞こえないことがありました。目の前に広がる変化のない景色とともに自分の呼吸の音だけを聞いていると、真空状態のような、どこにいるのかわからないような、なんだろうこの惑星は、みたいなことを感じるときはありましたね。

 ペダルを漕いでいるときは、とにかく自分のことを考えるしかないんです。今までの自分を反省したりとか、これから何がしたいとか、洗いざらい考えました。

 旅を終えて変わったと思うことは、1日1日を大切に過ごそうと思うようになったことでしょうか。死んでもおかしくないことが何回もあったので、人や自然に生かされているということを実感しました。一期一会ではないけれど、今このときに出来ることを、全力でやっていこうと思うようになりました。

 そこでたどり着いたのは、生きているだけで幸せだということでした。人間自分の足元をみないというか、生きていることがどれだけ幸せなことか、なかなか気がつきません。」

 自分を極限まで見つめた阿部さんの言葉には、重みだけではなくて突き抜けた強さがあります。





北米横断から戻り、小さく感じた東京と、面白く見えた庄内。
 阿部さんは当初、アメリカから帰ってきたらまた東京で仕事をしようと思っていました。でも、アメリカ横断という大仕事をやり遂げた阿部さんの目には、東京という街が小さく見えたそうです。

「アメリカという国を見た後、東京という街が小さくみえました。最終目的地だったニューヨークの喧噪やそこで生きる個性豊かな人々を見たからかもしれません。ニューヨークは面白い街でした。街を歩いているだけで、いつも発見がありました。

 例えばアメリカの人たちは、フランクというか、誰でもすぐに話しかけてくるんですよね。色んな人が自分に話しかけてきました。東京で同じことをしたら警戒されますよね。でもそれが普通だというか。東京では電車に乗っていても他人に興味がないのが当たり前だけど、アメリカでは色々なところで声をかけられますよね。優しさなのかおせっかいなのかわからないんですけど。

 旅を終えてすぐ、無事に戻った報告を家族にするために、鶴岡に帰りました。そこで見た庄内が、自分には面白く映りました。人のつながりとか、美しい景色とか、自然が身近なところとか。」

 そして鶴岡に戻ることを決意した阿部さん。鶴岡では東京で培ったフォトグラファーとしての経験と技術を活かして幅広く活動をされています。鶴岡で仕事をしていて良いと思うところは、すぐ近くに息抜きのできる場所がたくさんあるところだそうです。

「自分はスノーボードもサーフィンも登山もするので、ちょっと時間があったら遊びに行ける、というのはとても贅沢だなぁと思います。めしも旨いし、ほんとここはリゾート地だと思います。これほど自然を遊び場にできるところって、あまりないです。季節の変化を感じられるというのもとても良いですね。

 あと、人と人のつながりがおもしろいですね。取材に行ったお店の主人が父の知り合いだったりとか。この間もレストランの撮影に行ったんですけど、そこの奥さんを一目見てどこかで見たことあるなぁと思っていたんです。そしたらなんと、小学校の頃の先生だったんですよ。」

 自分が生きてきた地域にちりばめられた自然の素晴らしさや人とのつながりに、改めて気づく日々。庄内は何も無い、それが良いと思っていた。でも、本当に何もないのは都会のほうかもしれない。そうブログにつづる阿部さんの言葉に、共感を覚えます。





若い人はどんどん外に出て、色々な土地を見てくるといいと思います。
 都会に憧れて地元を離れる若い人たちに対しては、どんどん出て行ったらいいと阿部さんは言います。

「若い人はどんどん出て行ったらいいと思いますよ。東京だけじゃなくて世界も見て、自分の居場所を探したらいいと思います。自分はたまたま地元に帰ってきたけれど、色々な土地を見るのは若いうちにしか出来ないことなので、どんどん行ったほうがいいと思います。

 そうしたほうが考え方に広がりが出るというか、上の世代はがちがちに頭が固くなっているところがあると思うので、若い人たちが経験をつんで戻ってくることがあれば活動の幅も広がるし、地域の発展にもつながるんじゃないかと思います。」

 最後に、これからどんなことをしていきたいですかと聞いたところ、自然を相手に遊ぶスポーツをもっともっと楽しんでいきたいと阿部さん。

「やっぱりそれが、この土地ならではの最高の贅沢だと思うんです。海も山も川もあって、そこで自由に自然に触れ合えたり、自然で遊ぶことができる。子供たちに自然との遊び方を教えるようなこともしたいです。それに、例えば湯の浜はサーフィン発祥の地だったりとか、面白い歴史的な背景もあるところなので、仲間たちと組んでもっとアピールしていけたらと思っています。」



 その瞳で確かに見た、阿部さんの人生の一瞬を切り取った写真たち。それらを眺めていると、阿部さんのその時の嬉しさや辛さが伝わってきます。山形という土地を楽しみながら、自らのスタイルを確立してきたいと語る阿部さんの写真は、これからもきっと素晴らしい景色だけではなくて、思いと体験を、私たちにわけてくれることでしょう。


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