スポンサー広告

スポンサーサイト

 ←#027 クモの糸の実用化を目指す鶴岡市のベンチャー企業 スパイバー株式会社・村田真也さん 2012.12.11 →#032 布を織り地酒を語る、異色の織り手 夕日家地酒Bar店長 池田敦さん 2013.3.12
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



もくじ  3kaku_s_L.png Essay
もくじ  3kaku_s_L.png Interviews
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png Column
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit

Interviews

#030 「食の都庄内」を、自分たちの世代で受け継いで、繋いでいきたい イタリアンレストラン・アルケッチァーノ 西田淳之介さん 2013.2.5

 ←#027 クモの糸の実用化を目指す鶴岡市のベンチャー企業 スパイバー株式会社・村田真也さん 2012.12.11 →#032 布を織り地酒を語る、異色の織り手 夕日家地酒Bar店長 池田敦さん 2013.3.12

 


 西田淳之介さん 写真5


庄内イタリアン・Al che cciano(アルケッチァーノ)を支える若手シェフ


 山形県・庄内地方の自然環境や食材の豊かさを全国に知らしめるきっかけとなった、イタリアンレストラン・Al che cciano(アルケッチァーノ)。


 その土地で代々育てられてきた在来作物や旬の食材を個性豊かに料理したオーナーシェフの奥田政行さんは、料理人としてだけでなく地域資源の新しい価値の発掘やその再生に大きな影響を与えたことから注目を集め、これまで幾度となくテレビや新聞等のマスコミから取り上げられてきました。お店はその料理を一度味わおうと全国からやってくるお客様や関係者で賑わい、奥田さんには同じように地域課題を抱えた地方の自治体等からの講演依頼が絶えません。


 今や山形を代表するレストランとなったアルケッチァーノで、2010年から料理長を任されている西田淳之介さん。西田さんは1979年宮城県気仙沼市生まれ。高校を卒業するまで同市で過ごし、卒業後は仙台へ出てイタリアンを中心に修行を重ね、今から5年前に当時勤めていたレストランを通して奥田シェフと出逢い、アルケッチァーノでの研修の機会を得ます。そこで見た奥田シェフの料理と食への情熱に感銘を受けた西田さんは、この土地とこの人のもとで料理人生を送ろうと決心し、鶴岡へ移り住みました。


 


気仙沼から鶴岡へ―絶対条件は、海のある場所


  全国有数の漁業の町・宮城県の北東端に位置する気仙沼市に生まれ、幼少の頃から海のある生活に慣れ親しんできた西田さん。


「本当に海の目の前で育ちました。両親は漁業関係の仕事に就いていた訳ではないのですが、幼い頃から当然のように母が台所で魚を捌く姿を目にし、食卓には様々な魚料理が並んでいて、食生活は豊かでしたね。そうした環境の中で自然と興味が料理に向いたんだと思います」。


 それでも真剣に料理で生きていこうと決意したのは、24歳頃だったと思うと振り返る西田さん。そして奥田シェフとの出会いから、太平洋側から日本海側の庄内へとやってきます。


「庄内には、それまでまったく興味がありませんでした。山形は隣の県なので内陸部まで足を伸ばすことはありましたけど、山を越えて庄内に行くということはありませんでした。庄内がどんなところなのかイメージもありませんでしたし、まさかここに来るとも思いませんでしたね。」


 そんな西田さんの心を動かしたのは、奥田シェフの存在のほかに、幼い頃から慣れ親しんできた海の存在がありました。


「もともと自分の絶対条件として、海が近いところでなければ料理はできないと思っていました。ここへ来てみたら海はあるし、山もある。それまでに出逢ったことのないスタイルを持つシェフもいる。自分が探していたのはこの場所だと思いました。


 もちろん太平洋側と日本海側では当然魚の種類も違います、太平洋側の魚はカツオとかマグロとか、どちらかというと醤油が合うような油っぽい魚が多いんですよね。日本海側は白身の魚が多くて鮮度も高いというか、その違いも面白いと感じました。ここへ来たのは庄内の海に惹かれたんですね、海が大好きなんです」。


 ほとんど休みのない忙しい毎日の中でも、仕入先や市場で魚を見ているときはとても楽しいと語る西田さん。少年のように無邪気に語ってくださる姿を見ていると、その気持ちがよく伝わってきます。


 


 気仙沼と聞いて多くの方は、3.11の震災が頭を過ぎるのではないでしょうか。海のすぐ傍の西田さんの実家は、あの日三陸を襲った大津波によって一瞬にして姿形をなくしました。そんな凄惨な状況の中でしたが、ご両親は奇跡的に無事でした。


「震災があってすぐ、あぁ家はダメだなと思いました。帰る場所がなくなってしまったことは悲しいと思いましたが、もともとあまり物に執着しないほうなのでそこまでショックではありませんでした。それより何より両親が生きていてくれたことが本当に救いでした。」


 西田さんはその足で現地に入り手探りで両親を探し、震災から5日目にしてようやく無事を確認できました。両親を鶴岡に連れ帰った後も、何度も被災地へ足を運んで炊き出しを行っています。


 



庄内という土地で、料理をすること


 料理長を務めて約2年、その間に多くの雑誌やテレビ撮影をこなしてきた西田さん。最初は戸惑いやプレッシャーもあったそうですが、今はせっかく頂いたチャンスだからと楽しみながら取り組んでいるそうです。庄内で料理をすることの面白さや難しさは、どういったところから感じるのでしょうか。


「今や料理人は、料理だけでは駄目なんですよね。美味しい料理を提供するのは当たり前で、それプラス何かがなければ人の関心はひけないと言いますか。奥田シェフはそれが在来作物とか生産者とかだったと思うのですが、そうした何かが必要だと思います。


 やっぱり人だと思うんです、生産者だけではなく、全くの異業種の方とか、色んな人と接して繋がっていかないといけないと思います。でも最初はそれが大変でした、太平洋側で育った自分には、こちらの人々の気質を理解するのに時間がかかりました。物事をはっきり言っていただけないこととか、目には見えないしがらみとか、苦労しましたね。今はようやく慣れてきましたけれど。


 でも、ゆっくり深く付き合えば、心からわかり合えたり家族のように親身になって付き合えたりする人たちなんですね。庄内は人と人との繋がりがとても密なところだと感じます。ここならではの面白さですね」。


 生産者や料理人、取引先、その他の関係者が繋がって生みだされる庄内人の絆には、都会にある飲食店では考えられないような強さがあるように思います。そうした繋がりから新しい道が拓けたりするような奇跡は、ここならではの面白さなのかもしれません。


「あと、太平洋側にいた頃は、四季の変化を正直そこまで感じなかったですね。同じ東北でも冬はそこまで雪は降らなかったり、太陽も顔を出したりするんですよね。


 気温の変化はありますが、目で見る変化というのがあまりないんですよ。ここの冬はどんよりと曇った空が続いて晴れ間が見えることなんて稀だし、雪もいっぱい降りますよね。冬はひたすら我慢です。だから春がとても楽しみなんでしょうね。春になって雪が融けて、山の斜面に山菜が芽吹きだすと、とても嬉しいんです。どんな料理をつくろうか考えるとわくわくします。」


 庄内の多様に変化する季節に鍛えられた感性が、お皿の上で豊かに発揮されている。西田さんの料理を思い浮かべながら、その背景にあるドラマを知った瞬間でした。


 


 


冬にこそできる、地元庄内での取り組みがあるのではないだろうか


 2013年1月29日、地元の若手農家が育てた農作物を、アルケッチァーノの料理長・西田さんと酒田のフレンチレストランNicoのシェフ・太田舟二さんが料理し、生産者と一般の消費者が楽しむ「庄内の食を楽しむ会 若手農家×若手シェフ(主催:庄内若手農家ネットワーク)」という催しがアルケッチァーノで行われました。


 地元の農家さんの農作物をつかった料理は以前から得意とするところですが、若手のシェフの方との共演は初めてだったという西田さん。イタリアンとフレンチという異なるジャンルでのコラボレーションはもちろんのこと、Facebook というSNSを中心としたイベント告知により、普段いらっしゃらないようなお客様がたくさん来場したことも大変刺激になったそうです。庄内でこうした面白い取り組みが出来るんだということを実感し、本当にやってよかったと西田さんは振り返っています。 


「自分はこの土地にいて庄内を盛り上げることをやっていきたいと思っているんですが、そのためにももっと異業種の方とも知り合って、関わって、色々なことをやっていけたらと思っています。だから先日の若手農家さんや太田シェフとのイベントはとても良かったです、あんなにたくさんの人に来ていただけたことにも驚きました。


 やってみて思ったんですけど、冬の間だからこそできるというところはあると思いました。春になればお店も忙しくなるし、農家さんもなかなか自由が利かなくなります。冬の間の動きが鈍くなったときだからこそできる、地元での動きがあるんじゃないかと。実は色々大変なこともあったんですが、やってみないとわからないし、やらないと何も始まらないと思いましたね。来年はさらに色々しかけていけたらと考えています。」


 雪にじっと閉じ込められる季節があるこの土地だからこそ、出来る動きがあるのではという西田さんの言葉に強く共感しました。


 春を待ちわびる時間でじっくりと、足元を見つめなおし、周囲との繋がりを確認するような大切な時間にできたなら。


食の都庄内を、自分たちの世代で受け継いで、繋いでいきたい


 最後には、今後の夢を聞かせていただきました。


「今まで庄内を引っ張ってきてくれた奥田シェフらの次の世代、例えば太田舟二シェフのような二代目の世代の方たちと一緒に、上の世代とはまた違った取り組みをしながら庄内を盛り上げていきたいですね。人口18万人の町ながら、世界の料理界をリードしているスペインのサン・セバスチャンのような町に、庄内をしていけたら良いと思っています。


 そのためにも僕らの世代がまとまって、行動を起こしていかなくちゃならないと思っています。自分はその力になりたいですね。そして自分たちもここ10年くらいで形にして、次の世代に受け継いでいかないといけないと思っています」。


 在来作物の種を受け継ぐように、今せっかく芽生えたこの動きを、絶やさずに次の世代に繋いでいきたいという想い。


 アルケッチァーノといえば、在来作物をつかったお料理や奥田シェフを思い浮かべる方が多いでしょう。でも実はそれだけでなく、奥田さんの背中を追いかけて日々奮闘する、西田さんを始めとしたスタッフの方々がいらっしゃいます。北は北海道から南は沖縄まで、様々な地域から庄内に興味関心を持ってやってきています。


 そうした皆さんと気軽にコミュニケーションをとり、それぞれのドラマや想いに耳を傾ける楽しみがこのお店にはあるのではないでしょうか。きっと庄内の良さに改めて気がつかせてくれたり、お料理をより美味しくしてくれるような素敵な発見があると思います。


☆ヤマガタ未来ラボ 掲載ページリンク

スポンサーサイト



もくじ  3kaku_s_L.png Essay
もくじ  3kaku_s_L.png Interviews
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png Column

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【#027 クモの糸の実用化を目指す鶴岡市のベンチャー企業 スパイバー株式会社・村田真也さん 2012.12.11】へ
  • 【#032 布を織り地酒を語る、異色の織り手 夕日家地酒Bar店長 池田敦さん 2013.3.12】へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。